悲しい知らせ 桐生南無の会会報平成22年6月号掲載文
桐生南無の会でも記念講演会の講師をお務めいただいた松原哲明師が去る6月6日、突然に遷化されました。
5月25日、私は樹徳高校の緑陰祭で師にお会いしたばかりでした。その10日後のあまりにも突然の出来事に呆然とするばかりでした。
お会いしたとき、私は哲明師に「今インドで仏足石を制作しており、間もなく出来上がってこちらに着くことになっています。その仏足石を泰道先生にお供えさせていただきたいのですが、受け取っていただけるでしょうか」と、恐る恐るお尋ねをしました。哲明師はこの申し出を快く受けて下さり、安堵したばかりでした。
私は、昨年のインド仏跡参拝の折りに記念に持ち帰った聖地の土やレンガのかけらによるお砂踏みを発願し、その象徴として仏足石の制作を発願したのです。
石材には、インド屈指の霊石クリシュナ石を得ることが出来、これも仏縁のなせるわざと、興奮していました。既にインドを出航し、あと二週間ばかりで到着という状況下での知らせであります。
ブッダガヤで発掘された仏足石をもとに私自身がデザインしたもので、その側面には、クシナガラで発掘された涅槃像の台座に刻まれた、お釈迦様の最後の弟子スバッダの姿が彫ってあります。
私はスバッダの姿に自分自身を重ね、お釈迦様の弟子としての思いを新たにしようと考えました。また、お世話になった泰道先生に対する思いも、この仏足石に込めたのです。先生からいただいた数々のご恩を風化させることなくこれからも歩み続けなければなりません。
沢山の思いを込めた仏足石、哲明師には制作途中の写真をご覧いただいただけでした。出来上がったものをご覧いただくことはついに叶いませんでした。それにもまして、3人の仏前に供えるという、想像だにしなかった事実をどのように受け止めたらよいのか、心は乱れます。
「この世は無常である、私の本にもそのことは沢山書いてあったよね。」そんな声が聞こえてきそうです。お釈迦様の声も聞こえる気がします。
どんなに残念と思っても、別れを惜しんでみても、この事実は変わることはありません。だからこそ、笑われないようにこれからも一生懸命に歩かせていただきます。どうか見守って下さいますように。
今、改めて泰道先生の著書を紐解いている私であります。
沢山のお陰を有り難うございました。
新たな一歩に向けて 桐生南無の会会報平成22年6月号掲載文
先日、中外日報という宗教関係紙のコラム欄に、国学院大学教授石井研士氏の『宗教の不可視化』と題する一文が掲載されました。
その中で氏は
見えないのは宗教団体だけではない。 宗教者の姿も見えない。と断じ、
平成十七年の日本総合調査の結果を示しています。
もしあなたが個人的な悩みやストレ スを多く抱え、『ノイローゼかもし れない』と不安になったとしたら、 誰に相談したいと思いますか。
という設問に対しての回答で多かったのは「家族」で71%、ついで「友人・知人・恋人」で38.5%と続いていました。しかし「僧侶・牧師などの宗教家」は僅かに2.3%であり、愕然とする現実であると。
そして、「十三歳のハローワーク公式サイト」における、子供が招来なりたい職業ランキングで「僧侶」は三百位であることも紹介されていました。 氏は、
職業に対する憧れや敬意以前に、存 在感がないのかもしれない。
との危惧を発しておられていました。
この投げかけに対して私は、現在の日本における宗教事情を良く表していると認めざるを得ませんでした。そして、今まで、長年の付けがこの事態を招いているとしか言いようがありません。
私は年に10回前後、本山の修行僧に対して布教に関する講義をしています。この内容について早速講義に取り入れました。そしてこれが現実であることを認識し、布教についての必要性を説きました。
恐らく修行僧にとっては、理解し難い部分もあることと思います、しかし看過することは出来ません。
過去に何度も書きましたが、いずれ寺院数は三分の一にまで減ると言われ
ています。今や既に生き残り戦の真っ直中にあるということが出来ます。あらゆる業界が日夜激しい生き残りのための戦いを繰り広げています。戦いに敗れた企業は、アット言う間に私たちの前から姿を消してしまいます。
それまでは、時代の寵児ともてはやされていたはずなのに、その記憶も覚めないのにです。業界全体が存亡の危機に瀕しているものもあります。デパートの苦境などは最たる例であります。
これは、宗教界とて例外ではないと思えてなりません。いま仏教を取り巻く環境はすさまじい勢いで変化しています。ベストセラーになった『葬式は、要らない』には、寺は要らない、墓は要らない、戒名も要らない。衝撃的なコピーが新聞などで踊り狂っています。
本の内容を知らない、理解していない人たちがこのコピーに踊らされています。言葉の一人歩きが怖いと感じるのは私だけでしょうか。
この衝撃的なコピーが受け入れられてしまうほど仏教を取り巻く状況は悪化しているとも言えるのではないでしょうか。
講義は続きます。極めて悲観的な状況なのですが、努力次第では大きく変わることもあり得るのです。困った時に宗教家に相談するとした人は僅か2.3%です。ほんの少し相談したい人が増えれば、一気に50%、100%の増だってあるのです。
お釈迦様は、お葬式をしていません。生きているのであれば、死に瀕している人に対してでも教えを語られました。常に生きている人と向かい合っていました。
生の延長線上に死があります。この線(人の一生)で係わることなくして仏教の再生はないものと考えます。これこそが基本に立ち返るということではないでしょうか。
伝統という言葉は、耳障りがよいかもしれません。しかし何をもって伝統とするのか、実にぼやけてしまっているのが現在ではないかと思います。
お葬式が一般的になったのは僅か300年程度です。めいっぱい広く考えてみても鎌倉時代にまでしかさかのぼれません。檀家制度は江戸時代に幕府によって構築されました。僅か400年の歴史しかないのです。
様々な儀式なども、その歴史をたどってみると、一部を除きさほど古くはないようです。それを伝統と言うには無理があるように思えてならないのです。
檀家制度も批判の対象にあげられることが多くなってきました。考えてみると、実は、各宗派の祖師さん方の時代には檀家制度などなかったのです。ある時には、守られないばかりか、政府による弾圧さえありました。極めて困難な状況下にあって、その中で何をなされたのか、よくよく考えてみる必要があると考えるものです。
どの宗派でもそうなのですが、何かあると『宗祖に帰れ』という言葉が使われます。しかし本気で言っているとは思えないのです。本気で言うとしたら、現状を否定することから始めなくてはなりません。少なくとも私には、そう思えてならないのです。
桐生仏教会を起こした先人方は、大きな時代の変化の中にあって、仏教ここにありの気概を示されたのです。神仏分離令、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中にあって、あえて困難に立ち向かわれ今日の礎を築かれました。
矢継ぎ早に社会事業を興し、困難に立ち向かわれた姿は、実に気高く尊いものであります。
この先人の姿をもう一度見つめ、改めてその凄さを感じ、再認識をすること。これが百年の伝統を守ろうとする精神になるはずです。
崇高な理念のもと仏教会を起こした先人に恥じないためにも、私たちは今改めてここに新たな一歩を踏み出さなくてななりません。
南無の会26周年記念講演を迎えて
『知るは楽し』 パンフレット掲載文
熱帯睡蓮に取り組んで既に4年が経過しました。性質は全く判らず、しかし青紫の花の色に魅せられて、試行錯誤を重ねています。栽培の本を何度も読みますが、その通りにはいきません。場所、気候の違いもあるのでしょうか、毎年迷いながらとなります。
前回はこうした、その前はああした。今回はこうしてみよう。春も終わりに近づき、もうダメだとあきらめかけた頃に、やっと葉が出だしてみたり。かろうじて越冬に成功したものの、全く育たず、親芋の周りに小さな葉がついたまま秋になってしまったり。購入先(本の著者)に教えを請うメールをしたり。
今年になりなんとか上手くいきそうな気配が見られますので、些細な変化も見逃すまいとしています。それほど苦労するなら「また買ってしまえば」と言われてしまいそうです。
まだ小さい株は、桶の中でポットに植え込んだ状態です。そこにはボウフラ除けにヒメダカが入れてあります。そのヒメダカの腹が大きく膨らんでいることに気付きました。雌が卵を抱えているのです、しかしこれ1匹の桶です。そこで隣の桶にいたヒメダカを入れてやったら、半日も経たないうちに産卵が終わっていました。 睡蓮の葉はまだ水面に上がってきません。小さな葉と細い茎、そこには産み付けられた卵が見えます。となると、この卵がかえらないうちは動かすわけにはいきません。どうしたものかと、また水中に目を凝らします。蓮の方もレンコンが順調に伸び出しているようですが、天気予報はやはり気になります。
私たちは、自分の目で見て、自分の肌で感じてと、沢山の情報を受け取っているはずです。しかし気付かずに過ぎてしまうことがなんと多いことでしょう。
今年の夏はどうなるのでしょう。蓮や睡蓮の生長を見ながら考えてみることも楽しいことであります。そこから新たな発見が生まれ、知ることが出来る。とても有り難いことです。
様々な出会いや南無の会は、私たちに沢山のことを気付かせてくれます。それらの一つ一つを大切にして、豊かな人生を築くことが、生きていると言える証なのかもしれません。
『絆』 桐生南無の会会報平成22年5月号掲載文
私たちは生きているからこそ、様々なご縁に巡り会うことが出来ます。これは本当に素晴らしいことだと感じます。ところが、最近はどうもそこが違ってきていないでしょうか。袖ふれあうのも何かの縁として、人と人との出会いを大切にした、先人から受け継いできたはずの精神がおかしくなっていないでしょうか。
『絆』という言葉・文字に、最近やたらと出会います。しかし実際には、家族制度は大きく崩れて、個人中心にと変わってしまいました。無縁死なる言葉も生まれています。葬儀が営まれることもなく直接火葬場に、遺骨は散骨に名を借りた骨捨てとなり、この世に生きた証さえ残さない風潮さえ見受けられます。
今、親兄弟であっても家族としての絆を失いつつある、それを肌身で感じていて、悲しくて・不安でしようがない。どうして良いのかさえ、解決の糸口すら見いだせないでいる。その裏返しの言葉が『絆』なのではないかと感じるのです。
なんだか、日本全体が自信を失ってしまい、どうにも出来ないでいる様に思えてなりません。どうにかしなくてはならない、でもどうしたらよいのか。迷いはさらに深まるばかりであります。
大きく世の中の仕組みが変わろうとしています。今後、地方は益々疲弊してゆくことでしょう。先日群馬県の人口が二百万人を割ると報じられていました。
今までは、人口が増えることがよいことと考えられていました。人口が増えることが地域活性化の原点みたいに考えられてきました。しかし、家族もどんどん縮小しています。
明らかに、人と人との関わり合いが希薄になってきています。ですから、今、最も必要なことが絆を作ることなのでしょう。なんだか悲鳴にも等しい
感じてきます。
その絆の基本となるのが親子のかかわり方であると思えてなりません。どのような関わり合い方をしたのかが、とても重要だと感じるのですが如何でしょう。
四月の始めに、インドの仏跡二十三カ所のお砂踏みが出来上がりました。現在仏足石を制作中で、お盆前には完成となる予定です。
このお砂踏みは、楕円の石のプレートがケンケンパに配置してあります。散歩がてら境内に遊びに来た親子が、ここで遊んでいました。子供はいつまで経っても止めようとしません。何回も行ったり来たりでピョンピョンと跳び続けていました。
保育園の帰りなのでしょう、もう夕方です。お母さんは、早く帰って夕飯の支度をしたいところです。『もう帰ろう』盛んに子供を促して、やっと帰りかけますが、また子供は戻ってしまいました。
しばらくして跳びつかれたのか、帰ってゆきました。家の中でゲームでもやらせておいた方が楽に違いありません。でも、このお母さんは子供に最後までつきあっていました。子供は満足したことでしょう。お父さんが帰ってきたとき、ケンケンパをして遊んだことを得意になって報告するかもしれません。
踏み石には、各地の簡単な解説も彫り込まれています。きっと子供はお母さんに尋ねるでしょう。読めるようになったひらがなやカタカナ、でも読めない難しい字もあります。
尋ねられたお母さんは、子供に答えるためにそのプレートを読まなくてはなりません。知らず知らずのうちに、親子でお釈迦様のことを知ることにもなります。プレートに書かれていることにに興味が湧いてきたら、お釈迦様についてもっと沢山のことを知りたくなるかもしれません。
そこには親子の会話が存在します。ともに学ぶ喜びも感じてもらえるかもしれません。お寺に来ることが楽しくてたまらない。次々に咲く花を見て、また新たな興味が湧くかもしれません。そうやって積み上げる時間が、やがて固い絆を結んでくれることと確信しました。
今、インドの地では、私の考えに基づいた仏足石が制作されています。基本はブダガヤで発掘された紀元前一世紀頃のものです。仏足石としては最も古いものであるとも言われています。
間もなく仏足石はインドを出発する予定です。千三百年前に遣唐使が海を越えて求道の旅をしたわけですが、その旅を偲ばせるかのように、海原を超えての舟旅をしてまいります。お釈迦様を象徴する仏足石が、お砂踏みのゴールになる予定です。
仏足石の側面には、お釈迦様の最後の弟子となったスバッダの後ろ姿を彫り込んであります。クシナガラの涅槃像の台座にあるスバッダの姿そのものであります。
私たちは誰もが、お釈迦様の弟子であります。この仏足石と向かい合ったときに、我が身をスバッダの姿に重ね、その思いを新たにしてお釈迦様を感じてもらいたい。そんな願いを込めさせていただきました。
仏教、お釈迦様の教えは実に穏やかです。教えに触れるだけでも心が洗われるものだと思います。追いつめられたような感じが色濃い今、私たちにとって一番必要なことは心のゆとりでありましょう。豊かな心を取り戻さなくてはなりません。
心にゆとりが出来、豊になることにより、人とのふれあいも復活できるのではないかと期待するものです。
そこからは、不平不満は去り、感謝の心が生まれ出るものと信じています。この世で生きる人々が、幸せにならなければ、お釈迦様が法を説かれた意味がないと感じるものです。
足を知る 桐生南無の会会報平成22年4月号掲載文
先月、松原先生の残された言葉について書かせていただきました。一つ一つの言葉に、ずっしりとした重みがあります。それは一つの生き方を通した先生の人生哲学そのものだと思います。私が同じ言葉を発しても、この重さ、説得力は残念ながらありません。
人生の先輩の言葉には、とてつもなく重みがある言葉が、何の力みもなく淡々と発せられることがあります。ゲゲゲの鬼太郎の作者で知られる水谷しげるさんの対談番組を見ていて同じ事を感じたのです。
戦地で左腕を失う負傷を負い生死の縁をさ迷われた氏は、戦後貸本作家を生業としていましたが、その生活は極めて貧しかったと言います。腐りかけたバナナ(売り物にならない廃棄商品だと思います)を食べて飢えをしのいだとも語って居られました。たぶん私には想像も出来ない赤貧の中での日々を過ごされたと感じるものです。
貸本が廃れる中で漫画雑誌が台頭します。ここでやっと芽が出たそうです。
それまでとは打って変わって仕事の依頼が殺到する人気作家になるわけです。お金も沢山入り、豊かさを謳歌できるようになったわけですが、それに対する氏の言葉に驚かされたのです。
「金持ちになったからってぼた餅が四つ食べられるわけではない、やはり三つだ。」と言うのです。確かにお金持ちになったからと言って胃袋が大きくなるわけはありませんよね。この言葉が、すとんと私の心に入ってきました。人間には欲があります、その欲は止まるところがありません。欲のままに突き進んでしまったとしたら、どのような事態に陥るか判りません。氏の言葉は正しく仏教で言う『知足』でありました。そして「幸せには限界がある」とも語っています。禍福は糾える縄のごとし、諺そのものであります。人間欲張ってどうするんだ、と言われている思いがします。
何がうれしいのかという問いに「人から認められることだ」と言うのです。それも最大限の賛辞がうれしいというのです。作品に対して「良い」と言われるより「傑作」と言ってほしい。
私はこの言葉にほっとしました。これが水木しげるという人そのものであり、ゲゲゲの鬼太郎の原点であると感じました。作品に対するひたすらな姿勢をここに見る思いがします。
NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』が始まりました。主人公は水木しげるさんの奥様です。極貧生活も描かれるでしょう。きっと貧乏を楽しむような姿も出てくるのではないかと思います。
水木さんの人生哲学は、閉塞感が強まる今の私たちにとって、一つの光明になるのではないかと期待しています。
『坂本龍馬』はドラマですが、『ゲゲゲの女房』はドキュメンタリー的になるのではと、ワクワクしています。
松原先生の遺訓 桐生南無の会会報平成22年3月号掲載文
松原泰道先生の百三歳と記された書がしたためられたカレンダーが玄関に掲げてあります。七月に遷化される前に揮毫され用意されていたのだそうです。
ご存命であれば数えで百三歳の新年を迎えられる、その準備を半年ほど前に終えられていた訳です。私には考えも及ばないことで、カレンダーを頂戴した時には本当に驚いてしまいました。
表紙には『父母は我に生きてあり』
一月『光は光で人を招く』
二月『かえりみて己を知るべし』
三月『知って聞くは愛なり』
四月『心にものを隠すべからず』
五月『ひまを利用しない人はつねにひまなし』
六月『何事にもゆとりが大切』
七月『事終らば速やかに去るべし』
八月『子ども叱るな来た道じゃ』
九月『磨いたら磨いただけ光るなり』
十月『もう一人の私が見ている』
十一月『いつの世も人生行路はけわしい』
十二月『原因があって結果が生まれる』
とあります。その一言一言が心にずっしりと響いてきます。
七月の言葉を目にした時、ご自身の終焉をお分かりであったのだろうか。その言葉どおりの遷化であったのだろうか?本当にご自身で『事』終わったとお考えになられたのだろうか?まだまだ沢山のことを残されていたのではないか?考えれば考えるほど混乱してしまいます。
毎日カレンダーを見て、その言葉を味わい、その一言一言の重さを感じてしまいます。百年の重みとでも申しましょうか、簡単な言葉ではありますがこれが先生の説法人生の集大成でありましょう。お読みすればするほどに重みが増してまいります。
表紙の言葉『父母はわれに生きてあり』著書の随所にこの思いが滲み出ている事に気付かされます。病弱であったこと、ご両親の死について、それらを振り返られて、先生の心の奥底から発せられた言葉だと思います。
私もお話しをさせていただくときに『命』をテーマにいたします。限りない命のリレー、ここに阿弥陀様の現れを感じています。
私がここに居るためには、父母の存在がなくてはなりません。その父母にもそれぞれ父母が必要です。こうして私の存在を考えたときに、延々と遡らなくてはならない命の存在に気付かされます。どれ一つおろそかに出来ない、大切な命です。ご先祖様であります。
縁あってこの世に生を受け、色々な出会いをさせていただき、本当に有り難いと、そのまま真っ直ぐに私の心に飛び込んできた先生の言葉であります。しっかりと噛みしめたい思いです。
一滴の水にならん 桐生南無の会会報平成22年2月号掲載文
新年早々、ご挨拶も申し上げずにいきなり物騒な話題をお許し下さい。 チョット怖い流れが感じられてなりません。前回書いたことと重複しますが、より身近なことであります。
新聞にお悔やみ欄があることは皆さんご承知ですよね。そのために新聞を購読していらっしゃる方もいるようです。そのお悔やみ欄への掲載を断る事例が急に増えているようです。桐生地区で約三分の一にも上ると言います。この話を聞いてまさかと思いましたが、市の斎場の込み具合が、確かにお悔やみ欄と一致していません。
このところお悔やみ欄に掲載されている方が少ないから、斎場は空いているだろう。ところが予想に反して、今日は10件、この時間は5件有ります。みたいな状況があるのです。
恐らく慣れ親しんだ近隣の友達も、親戚も、ひょっとしたら兄弟にも知らされないうちに、本当に近親者のみでお葬式を済ませてしまう。あまりにも淋しいとしか言いようのないことが始まってしまっています。
お葬式は人として最後の、きわめて厳粛な儀式です。古来より日本人はとても大切にして参りました。これは世界中の人たちにとっても、宗教・人種・国家を超えて共通だとも考えられます。葬儀と結婚式が重なった場合には、葬儀を優先させるという暗黙の了解事項もありました。
身近な、親しい人が亡くなった。その時後に残された人々は、故人の生前を偲び、命のはかなさを感じ、自分の残された命をどう使い切るかなど、様々なことを考える場所でもあります。その最も大切な儀式が、省略されてしまうようになってきました。
その原因には様々なことが考えられます。経済的な理由が第一に挙げられてきます。お葬式には金がかかる、というものです。その延長線にあるのでしょうか、戒名はいらない・坊さんもいらない的な声です。墓も、生きた何の証もいらない、だから散骨だ。どんどんその理由付けが拡大しています。
この考え方が進む中で、宗教離れという言葉がどんどん一人歩きをしているように思えてなりません。高橋卓志さんの著書『寺よ、変われ』が端的にそのことを言い表しているように思えてなりません。今仏教は明らかに崖っぷちに立たされていることを感じます。
これ以上に危機を感じることは、家族の崩壊です。人間関係がきわめて希薄になってしまったきているように感じることです。上手にコミニュケーションをはかれない、その結果インターネットの世界にこもる人が増えてしまい、実に殺伐とした社会になりつつあります。
こんな状態であるからこそ、南無の会は一滴の水となり、乾いた大地を潤す会でなくてはと考える次第です。
堰は切れた 桐生南無の会会報平成21年12月号掲載文(2話あります)
つい先日のことです。越ヶ谷の檀家さんが亡くなり、葬儀に出向いたときのことです。
葬祭場は東日本の大手業者でした。たまたま時間にゆとりがあったので、責任者や従業員の方とお話をすることができました。その中で、愕然とする事実を知り、背筋が寒くなってしまったのです。
『最近、直葬が多くなっていると聞きましたが、ここらではどの位有りますか?』とお聞きしたのです。その答えは、あまりにもすさまじいものだったのです。
『直葬が半分を超えています。』にわかには信じがたい現実です。首都圏では三十%が直葬である、私はそんな情報を得ていました。ですから、せいぜい二十%ぐらいかな、という思いがあったのですが、みなさんはどう感じますか。
直葬になる理由はさまざまでした。一番多いのが経済的な理由のようです。政府が『日本経済はデフレに入っている』と正式に発表しましたが、リストラ等で収入が著しく下がっている事実があります。でも理由はそれだけではないようです。地域での人の関わりが極めて希薄になってしまったこと、親子関係が崩れてしまっていること。それにも増して、菩提寺から離れていくことが加速しているようです。
菩提寺があるなら、まずそちらに連絡をして、住職の都合を聞いた方がよいですよ。こんな投げかけを業者はしているそうです。それでも、あえて連絡もせずに葬儀を済ませてしまうのだそうです。
どこの誰だかも分からない僧侶、求められれば紹介をしているとのことですが、その場限りの儀式で終わりにしてしまうのはまだよい方なのだそうです。
地方の菩提寺に連絡もせずに葬儀を済ませてしまう、その延長線上には、先祖の墓の放棄や、散骨があるようです。散骨業者が『最近の散骨事情は、骨捨て状態になっている。』と言いだしてからあまり時間は経っていないのですが、拡大の一途をたどっているのが現実のようです。
早晩、この流れは地方にも拡大してくる事です。その勢いは増し、もう止めようがないところまで来てしまったと言えるのです。
桐生とて例外ではありません。間もなく直葬が誰はばかることなく行われるようになるでしょう。
改めて、寺が、僧侶が誰のために必要なのか?真剣に考え、実践しなくてはなりません。もはや一刻の猶予もなくなっています。
桐生南無の会でもお世話になっています長野県松本市、神宮寺ご住職高橋卓志師の著書『寺よ、変われ』(岩波新書)が、現実のものとなりました。
法話HP
十二月の南無の会、講師予定の月門さんが都合が悪くなり、急きょ何人かの都合をお聞きしたのですが、講師未定になってしまいました。
考えた末に『みんなが講師』でやることにしました。だいぶ前にも一度やったことがありますから、皆さん記憶されているかもしれません。結構面白かったと記憶しています。
当日、参加された皆さんそれぞれの思いを語っていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
急にページが空いてしまったので、ページ塞ぎをすることにします。
私が十月に、法話専用のホームページを立ち上げたことは、皆さんご承知のことと思います。現在三話が出来上がっていて、いつでもご覧頂けるようになっています。
三話めは、平成十六年二月に浄運寺さんの話順婦人会でお話をさせていただいたものです。次はどれにしようか、あれこれ考えながら準備を進めています。
準備をするということは、過去の話を聞き直すことから始まります。改めて聞き直してみると、言い間違いがあったり、勘違いで話してしまっていたりと、結構おかしなところに気付くものなんですね。ついつい調子に乗りすぎて、かなり際どいことを喋ってしまっていたりもしています。
そして、編集をする話が煮詰まってくると、どんな画像を使うかを考えだします。話に相応しい画像や映像を考えようとするのですが、これがなかなか見つかりません。最初のインド仏跡参拝に関しては、全くその心配はなかったのですが、他ではそうもいきません。これが結構辛いですね。
その結果、境内の風景や、草花などの映像でお茶を濁すことになってしまいます。ご覧頂いたとき、違和感を持たれる映像になっていることがあるかもしれませんが、苦しんだ結果とご理解いただければ幸いです。
映像はあるにはあるけれども、版権の生じるものもあります。これは厳しい現実だと思います。宗に関わるもので有れば何とか借り出すことが出来るように了解を取り付けて、その準備をしたりとなってまいります。そのほかではチョット無理なものが沢山あり、これは何かでお茶を濁すことになりそうです。
まだまだ運用を始めたばかりですから、これからどう展開できるかも未知数のところがあります。ただ、このホームページをきっかけにして、仏教に親しみを感じてもらえたら有り難いことだと考えています。
あまりにもテレビ番組が低俗下し、くだらない話がばっこしている今、仏教とは、生きることとはを考えるきっかけになれることを目指して作っていきたいと考える今日この頃です。
泰道先生を偲ぶ 桐生南無の会会報平成21年11月号掲載文
10月25日、法事を終え、東武の特急へ一人で乗り込み・・・・・
泰道先生と奥様、二人の百日忌を兼ねての偲ぶ会へと向かいました。
会場へ着くと、真っ先に目に入ったのは南無の会(水書坊)の皆さんが、そして、そこには記帳の長蛇の列が出来ていました。そして受付を済ませ、会場内に。入り口には家族の皆さんが立って迎えてくださっていました。
とてつもなく広いホールの真ん中には、在りし日のご夫婦の写真が飾られていて、手をあわせていると、涙があふれそうになってしまいました。「先生、葬儀の際には失礼をして申し訳ありませんでした。本当にお世話になりました。」ただただお詫びしてお許しを請うばかりです。
席に案内をされて、なんとお隣は霊元さんではないですか。久しぶりに元気なお顔を拝見です。霊元さんは交通事故で死に損ない、私は食道の異変で緊急手術、これも死に損なった身であります。お互い死に損なった同士で会話が弾みます。
会場には600人の縁ある方々が駆けつけたのだといいます。桐生南無の会の記念講演会でお世話になった方々のお顔もありました。石上善応先生、市川智康師、高橋卓志師、中島教之師、桐生南無の会の25年を紡いでくださった方々、その中心には紛れもなく泰道先生がいらっしゃったのです。
会場の壁には、先生の奥様が描かれた絵が展示してありました。哲明さんの挨拶で『母の個展です』と、先生の著書の中で拝見したことのある優しい絵が沢山あり、これまた感慨深いものがこみ上げてまいります。こんな夫婦でありたい、そう思わずにはいられないエピソードも披露され、奥様の絵のすばらしさが倍加しました。
お孫さんの話で『私のその日(死んだとき)は、地獄での説法の始まり』と先生は語られたといいます。いかにも先生らしい、ユーモアと優しさに満ちたエピソードに、先生を失った口惜しさが募ってまいります。
私には、自分の心にぽっかりと空いてしまった空間を埋めようと、長年温めていた構想を実行に移しました。そうでもしなければ、この空しさは埋めようもありません。
突然、唐突、狂った様に新たなホームページを立ち上げました。それは法話のためのものです。写真や動画を見ながら聞くという、全く新しいスタイルのものです。先生がご覧になったらなんと仰られるか?呆れ返られてしまうかもしれませんが、賽を投げてしまいました。
先生の下で育てて頂いたご恩、『俺はそんなこと言ってないよ』と言われてしまうかもしれませんが、私なりの南無の会魂の現れとして、見守っていただけますように。ナーム 合掌
自問自答 桐生南無の会会報平成21年10月号掲載文
先月にも書きましたが、松原泰道先生の晩年の著書を改めて読み直しています。夜眠りにつく前の一時、桐生南無の会でのこと、私自身の歩んできた道などを振り返りながらページをめくっています。
読み返すほどに、改めて先生の凄さを感じています。また、これほどまでに先生の影響を受けているのかと、感じることがしばしばなのです。南無の会が桐生で始まって25年、その間に知らず知らずに先生の教えが身に染みついていたようです。
しかし、読み進めば読み進むほどに、何でもっと真剣に読んでこなかったのだろうかと、そんな後悔の念が強くなってきています。もっと解らなくてはならないことが、やらねばならないことが沢山あることに気付きます。先生がお元気であったうちに、しなくてはならないことが沢山あったように感じてならないのです。
『生涯現役』『独楽の舞倒れ』『一生勉強』沢山のキーワードが湧き出てきます。どこまで真剣にこれらのキーワードと向かい合っていたのか?ページをめくる度に反省しながらの一時です。
先生の御著書は130冊を超えていると言います。だとすると1年に3冊以上のペースで書き続けられたことになります。全国を飛び歩かれる中で、どうやって書かれたのだろうかと、驚きとともにそのご苦労が偲ばれるのです。
私は、ついつい「時間がない、忙しい」と口にしてしまいがちです。確かにいろいろな仕事を抱えています。3月の手術以降、めっきり疲れやすくなってもいます。でもそれだけなんだろうか?もっと時間を上手く使うことが出来ないのだろうかと、考えてしまうのです。読み返すことが、自分を改めて見直すことにもなりました。
今までどれだけ先生のご恩をいただいてきたのか、面倒をお掛けしたのか、その重さがずしりと感じられます。そして先生に改めて感謝を申し上げ、さらなる前進をしたい自分があります。少しでもご恩に報うことが、せめてもの恩返しになるのだと考えるのです。
先生の葬儀に参列できなかった自分を責め、気落ちすることもしばしばでしたが、10月25日(日)午後5時から先生と奥様の偲ぶ会が催されるとの案内をいただきました。私も、なんとしても偲ぶ会の末席を汚したいと思います。お詫びを申し上げなくてはなりません。申し込みの締め切りは10月15日です。(詳細はお尋ね下さい)
会報をお読みいただいてからでも間に合います。チョット無理をすれば日帰りも出来ますので、ご希望の方は申し出てください。ご一緒しましょう。
電車に揺られながら、思い出話を語る相手が欲しいのです。
心の足音 桐生南無の会会報平成21年9月号掲載文
今私の枕元には、松原泰道先生の著書が二冊置いてあります。先生の晩年の著書で、恵送いただいたものです。 今、読み返しをしている所で、改めて先生の凄さ・大きさを感じています。遷化されて早一月、お葬式に参じることが出来なかった自分のふがいなさに、悲しみは増すばかりであります。なんとしても行きたかった。悔しくてなりません。
その本の表紙をめくると、そこに先生のことばが書かれています。今そのことばをかみしめる毎日でもあります。
そこには「言葉は心の足音である」としたためてあります。
3年前、この本を頂いた時には正直言ってあまり重く感じませんでしたが、とてつもなく重い言葉であることに気づかされたのは先生が遷化されてからのことです。「南無の会でいっぱしの話をしているつもりのお前さん、そんなもんじゃないだろうよ。人間一生勉強だよ。一所懸命に勉強して、心を磨きなさいよ。」そう言われているように思えてなりません。
九十八歳の先生が、ひよこみたいな私に優しく諭してくださっている。今まで気づかなかった私はまだまだであります。七十年間の説法人生、そこからにじみ出てきた言葉だったのです。教えるのではなく学ばせていただく。そんな先生のお人柄そのものであります。「お前勉強しているか?」先生の口癖、それはご自身への問いかけでもあったのだと思います。ご自身の生き様を示し教えて下さったのです。
いつも穏やかに接してくださったこと、かけていただいた言葉の数々が今鮮明によみがえってきます。そして、泰道先生に巡り会うことが出来た、直に接することが出来た自分が、どんなに幸せ者であるか。今改めて感じています。
生意気にも、学林や教学講習会で講
師をさせていただき、そこで修行僧に「衣を身につけて何をしようとするのか、すぐに答えは出ないと思うが自分に問いかけ続けて欲しい」そう語るのは、まさしく自分への問いかけであります。こんなことを口に出せるようになったのも、先生のお陰かもしれません。むしろ、先生の言葉をそのまま発しているのもしれませんね。
これからどこまで進めるかわかりませんが、先生のお心に少しでも報いたい。そして「お前の足音いい音になってきた」ねと言ってもらえるような、そんな人生を歩むことが出来たらどんなにすばらしいことだろうか。
今後とも先生には見守っていただきたい気持ちです。先生に恥じることのない道を少しでも残したいと念じます。
桐生南無の会、発足以来二十五年を経過し、今日まだあることは、まさしく先生あってのこと。そのお陰の大きさをますます感じている私です。
去る平成21年7月29日 私たち桐生南無の会会員が師と仰ぎ尊敬しておりました南無の会会長松原泰道先生が満101歳で遷化されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。
泰道先生を偲ぶ (追悼文) H21・7・29
皆さん既にご承知のこととは思いますが、去る7月29日午前11時28分に松原泰道先生が遷化されました。
現代の高僧として、百歳を超えてなお精力的に執筆を続けられる姿は、私たちにとって欠くことのできない道標でありました。
ご遷化の報に接したとき、私はとてつもなく大きな支えを失った思いで一杯になるとともに、今日まで私たちを見守り、励まし、育てていただいたご恩の深さを改めて思い、残念でなりませんでした。
先生は日頃から「独楽の舞倒れ」をおっしゃり、一生勉強、生涯現役の姿を身を以て私たちに見せてくださっていました。掛けていただいた暖かい言葉の数々が、お会いしたときのお姿が、桐生南無の会の講演をいただいた時のことなどが、走馬燈のように頭を駆けめぐり、気持ちの整理が付かない有様でした。
気持ちが落ち着かないまま夕方になり、イヌの散歩をしているとき、突然お釈迦様のことが頭に浮かんできたのです。二月に仏跡参拝の旅をしましたが、クシナガラの涅槃像のお姿が浮かんでくるとともに、お釈迦様の言葉が思い起こされてきたのです。
今まさに涅槃に入られる、その事態にうろたえ、嘆き悲しむ弟子達に「人は生まれたからには必ず死を迎えるものだ、私とて例外ではない。悟りを得て今日まで、すべてその内容は伝えた、もう何も残っていない。これからは、その教えに従い、自らを寄る辺にして、法を寄る辺にして修行を怠ることなく続けなさい。」というものです。
自灯明・法灯明の教えであります。私は、クシナガラの涅槃像の足下で、お釈迦様をお忍びし、額を付けお参りをしたのですが、その時のことがありありと思い出されたのです。
そして、お釈迦様のこの言葉は、正しく泰道先生のお心であると感じたのです。先生はかねがね、ご自身の生き死にについて語っておられました。
そして私たちに、身を以てお示し下さったわけです。
今まで、先生から教えていただいた数々は、これからの標になります。先生に笑われないようにより一層の精進を重ねることがなければ、今までの大恩に報いることは出来ないと思います。 衷心より感謝申し上げ、しっかりと後ろ姿を見つめてまいりたいと存じます。
私たちのことを気に掛けていただき本当に有り難うございました。 なお、先生のお通夜は8月2日午後6時から、お葬儀は3日午後1時から、ともに龍源寺で行われます。
どうしても都合が付きませんので、後日改めてお参りさせていただきたいと考えています。
猛暑?冷夏? 桐生南無の会会報平成21年8月号掲載文
今年の梅雨明けは、関東に限ってやけに早いものでした。37度の猛暑にいきなり襲われて、悲鳴をあげてしまいましたが、一変梅雨に逆戻り。半袖では寒い位の日まである始末。異常気象としか言いようがない感じがしてまいります。
こんなお天気で、蓮も熱帯睡蓮もなかなか元気になりません。蓮は花を咲かせてはいるものの、蕾があまり伸びずに、葉の下で咲いてしまったりもしています。
そんな中で唯一元気なのが『唐招提寺青蓮』奈良の唐招提寺に伝わる古い品種です。寺の名前が青蓮寺、そこにこだわり『青蓮』の名を持つ蓮を購入しました。園芸品種ではなく、花上がりはよくない。栽培も難しく、お勧めではありませんとの断り書き付きのものです。それなのに真っ先に花を咲かせ、一番元気な様子を見せてくれています。二つ目の蕾も順調に育っていて、栽培が難しいという言葉が信じられない状態なのです。
とは言うものの、大方の品種の元気がありませんから、今年は逆になってしまっているのかもしれませんね。
熱帯睡蓮は、三種類とも越冬に成功したのですが、やはり元気にならないという、蓮共々おかしな夏を迎えています。
このような状況下で、やたらと元気な雑草があります。ドクダミと猫じゃらし、この二つはとんでもなくはびこって掃除泣かせになってしまいました。
長期予報では、今年は暑い夏、最近になってエルニーニョ現象が現れだしているということが取りざたされる事態に。そうなると夏は短くなりそうだし。一体どちらに転ぶのやら、どちらにせよ極端は困ります。
とは言ってみたものの、どうすることも出来ません。人間の無力さを感じるばかりです。追い打ちを掛けるよう
に、北九州から山口にかけての水害。その惨状は目を覆うばかりです。
良寛様の話であったかと思いますが、災害に遭わない方法を尋ねられたとき、「災害に遭うときにはあえばよい、それが災害から逃れる最善の方法である」とお応えになられています。
あるがままに受け入れることが出来たら、どんなにか楽に生きられることでしょう。なかなか私たち凡人には出来そうにはありません。どうすることも出来ないのに、あれこれ迷ってみたり、困ってみたりしてしまいます。
そんなこと心配しているよりもなによりも、先日の日食が見られなくて残念がっている皆さん、二十六年後には北関東(正に居ながらにして)で皆既日食があるそうです。頑張ってみんなで見たいものですね。三年後ぐらいには金環食も見られるそうですよ。
皆既日食、その時私は八十五歳になっています。それまで生きてるぞ。
年々同じじゃない 桐生南無の会会報平成21年7月号掲載文
25周年記念講演会の興奮も過ぎ、アット言う間に次の原稿を書かなくてはならない。毎年同じようだと思いつつも、やはり何かが違う。
手術から四ヶ月が経過しようとしているが、まだ後追いは続いています。どうしても後手後手になってしまうのです。気ばかりが焦って・・・・
今年の梅雨は雨がよく降ると思いませんか。梅雨らしい梅雨とでも申しましょうか、それとも異常気象でしょうか。
今年のお天気で感じる異変を一つ紹介いたします。蓮についてです。
今年新しい品種が増えました。唐招提寺青蓮という、唐招提寺に伝わる小型の品種です。小型のくせに鉢は大きくなくてはならない、花付きが悪い、扱いにくい弱い品種である。花は七月の末ぐらいにならないと咲かない。どちらかと言えばマイナスの多い品種なのですが、寺の名前が青蓮寺ですから、どうしても『青蓮』と名が付く蓮が欲しくなります。
鉢に植え込み、永代供養のお墓の脇に据えたのですが、なんと6月1日に蕾が出ていることに気付きました。まだ立ち葉が3枚、とても蕾を持つ状況ではないのに。早すぎるから心配していたのですが、蕾は順調に生長し間もなく咲くところまできています。
去年蓮の蕾に気付いたのは別の品種ですが6月24日。その品種も蕾が既に出ています。やはり早い。どうやら聞いた範囲では同じような傾向が。
ところが熱帯睡蓮は生長が極めて悪いのです。3種類とも何とか越冬に成功したようなのですが、なかなか勢いが出てきません。同じ熱帯系の植物なのに、こうも違うのは不気味に思えてしまいます。
こんな様子を見ていると、今年は冷夏になるのかと、不安がよぎります。長期予報では平年並みか暑くなるようなのですが。結果はどうなりますか。
そう言えば、今月22日は奄美諸島で皆既日食があります。ここらでは全体の70%位欠けた様子が見られそうです。当日の晴天率は37%。こんな事もインターネットですぐに調べられます。
便利といえば確かに便利です。しかし私たちはあまりにも情報に頼りすぎていないでしょうか。中にはインターネット依存症と称される人までいるようです。
自分に必要でない情報間にまで心を奪われてしまう。一種の恐怖観念に陥ってしまうことがあるようです。
でも、本当は、私たちに備わっている五感を研ぎ澄ますことの方が大切に思うのです。自分の全身全霊でもって森羅万象を感じること、この方が生きて行くためには必要だと思えないと、まずいのではないでしょうか。
私たちは生かされているのですから。
25周年に寄せて 桐生南無の会会報平成21年6月号掲載文
私事ですが、突然の発病で手術・入院をしたことを前回書かせていただきました。それからまた一月が過ぎようとしています。
その間、お読みいただいた皆さんから、暖かい励ましや、ご心配をいただき恐縮しています。
手術の跡は、日を追って良くなってきています、にもかかわらずなんです。 あれもしなくては、これもしなくては、やらなくてはならないことが山積しています。ところが気持ちが焦るばかりで、一向にはかどりません。いまだにテンションが上がって来ないし、頭も回りません。
こうやって原稿を書いていても、パソコンと睨めっこはしているものの、一向に画面は埋まってきません。おまけに、もがけばもがくほど準備しなくてはならないのに手付かずの事柄が出てきてしまいます。情けないったらありゃしない、という心境です。
こんな調子でいると、だいぶ皆さんに迷惑を掛けてしまうのではないかと心配です。
そんな中であっても時間は実に冷酷です、確実に周年記念講演会の日時は迫ってきます。遅れを取り戻そうと気ばかりが焦っています。こんな状態ですので、皆様には是非とも寛大な気持ちでお許し下さいますようにあらかじめお願い申し上げます。
さて、今回講師としてお招きする事が叶った酒井大岳先生は、南無の会会友としてご活躍されている、私たちの目標としなくてはならない先輩でいらっしゃいます。
また、ナマステ・ネパール会代表として、ネパールに学校を造る運動に長く携わっておられます。金子みすゞさんの詩を仏教の観点から読み解かれることでもよく知られています。
その活動範囲は広く、とてもエネルギッシュな先生なのですが、文章の端はしに宝石のようにちりばめられている優しさは、とても魅力的で、慈愛にあふれています。
ネパールに学校を造ることも、その優しさがあってのことなのだと感じています。
どうしてこんなに優しいのだろう、なぜこんなに優しくできるのだろう。先生を知れば知るほどその魅力にとりつかれてゆく自分がそこにあるのです。
先生は大変な苦学を経験されています。そのご苦労たるや、すさまじいとしか言いようのないものです。そのご苦労が先生の優しさの源だと気付かされました。
今回の演題『心に高き帆を』は、先生のご著書『金子みすゞの詩と仏教』の第七章のタイトルです。金子みすゞさんの詩を、仏教の見地から読み解かれる先生ならではのお話を聞くことが出来ると思います。
人の知的欲求は死ぬまで衰えないと
言われる、最も強い欲求の一つですが、お話を通して知的欲求だけではなく自分の生き方を再度考えさせていただけるものと確信しています。
皆様にお願い
当日会場にて、先生のナマステ・ネパール会活動支援の一環として、カンパをお願いさせていただきたいと考えています。
先生のご講演をお聞きいただき、感動したら、良かった・得したと感じましたら、そのお気持ちをカンパしていただきたいと思います。
講演会場で、皆様に紹介させていただく、予定著書です。
『金子みすゞの詩と仏教』 大法輪閣
金子みすゞが遺した詩の中から三十二編について、その世界から感じさせられる仏様の教えについて著しています。
とても分かりやすくて素晴らしい本です。今まで金子みすゞに興味がなかった方でも、この本を読んだらもう虜になってしまうと思います。
税別千六百円
『あったかい仏教』 大法輪閣
~道元禅師の修証義にきく~
曹洞宗の祖、道元禅師の言葉を集めた『修証義』そこに説かれている道元禅師の教えを分かりやすく説いています。
曹洞宗のお檀家さんには是非とも読んでいただきたい一冊です。曹洞宗でなくても読んで見てください。仏教の精神が伝わってきます。 税別千八百円
『野に語る・般若心経』 光雲社
先生の人生を通して般若心経を語っておられますので、実に分かりやすいです。難解な部分もすんなりと読めて「ああそうだったんだ」と納得がゆきます。この本の帯がまた凄いんです。大宇宙。大自然。小さな「わたし」。すべてがつながり合う般若心経の世界と言うものです。 税込千六百八十円
『生き抜く力 禅のことば』 清流出版
禅僧としての先生の面目躍如、ご自身の体験を中心にまとめられていて、読んでいて本当に納得してしまいます。曹洞宗に限らず、あらゆる宗派の方にお読みいただきたい一冊と思います。 税別 千五百円
先生のご著書には、至る所にネパールのことやインドのことなどが出てきます。ですから読んでいるだけでネパールやインドに対する先生の思いの深さが分かってきます。
桐生南無の会の事務局長、観音院の住職月門師もネパールへの援助をされています。浄運寺の先代住職野口善雄師のスリランカへの援助は皆さんよくご存知のことでしょう。(現住職も)
私たちにも出来ることはあります。
生き返りました 桐生南無の会会報平成21年5月号掲載文
先月、4月の会報では、皆さんを驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
私にとっても、思っても見ないハプニングであったというのが正直なところです。
異変は3月12日未明に始まりました。胃がちょっと痛くなったのです。胃炎持ちの私には良くあることで、様子を見ていたのですが「これは収まりそうにもない」と言うことで胃の粘膜保護剤を飲みました。普通はこれで収まるはずです。
ところが痛みが増すばかりで、今度はガスターを飲んだのです。これで収まるだろう・・・・ところがなかなか痛みが治まりません。朝食を食べ、10時を待って近くの量販店に熊手を買いに。そうしている内にも、痛みは増すばかりでした。ついに痛みのあまり震えが来る事態になり、「これはただ事ではない」今まで経験したことがない痛みに襲われたのです。
これにはたまらず、近くのかかりつけの主治医の所へ飛んで行き、診察をお願いしました。早速血液検査・エコーでの検査となりました。最初は石を疑ったわけですが、エコーには陰が写りません。
あれこれ診察する内に、ついに先生が焦り出しました。血液検査の結果、腹膜炎の兆候があるというのです。
今紹介状を書いている、先にはもう連絡を取ってあるからすぐに厚生病院へ行きなさい。あちらでは既に待機して待っている、と言うのです。
紹介状をもらい、慌てて息子の車で厚生病院へ行きました。主治医の先生の言われたとおり、紹介状を窓口に出すやいなや救急の診察室へとつれて行かれ、そこからさらに検査が始まりました。
心臓の疑い?ニトロを飲まされました。「どうですか?」「いや、先生これは心臓ではないと思います」そんなやりとりも。そして今度は内視鏡検査が、「どこも悪くないねえ、きれいだねえ、ん、ここが?いやこれは違うでしょう・・・・」お医者さんと検査技師のそんなやりとりが聞こえてきます。私にとっては「そんな流暢なこと言っていないで早く何とかして」という状態です。結局内視鏡検査では分からず。
いよいよ最後の手段?CTでの検査
になりました。検査が終わって先生が「どうも食道の所に白い陰が写っています、きっとこれは何か堅いもの、たとえば魚の骨とか。そして、その回りにモワモワとした黒いものが、こういう写り方をするのは液体なんです。たぶん膿だと思います。このままではしょうがないので手術をしますが良いですか?」
そう言われたって、こちらはどうすることもできません「先生にお委せします」そして、午後6時には手術が開始されてしまいました。これは正しく緊急手術でしす。
主治医の先生が「今日は木曜日だ、明日になると病院は手術をしないから急いだ方がよい」結果としてこの判断が最高の結果をもたらしたのです。
しかし突然の手術による入院、早くても三週間はかかります。正直これには焦りました。何たってお彼岸は目前です、お祭りがすぐ後に控えています。沢山の用事をこなさなくてはならない、 麻酔が覚めて、痛みにうめきながらも「どうしようか・・・」気がもめていました。結局、沢山の仕事をキャンセルしなくてはならず、実に多くの関係者の皆さんにご迷惑をお掛けすることになってしまいました。
手術の結果、食道壁の中が化膿していたのだそうです。「食べた物、何か堅い魚の骨とかが食道を傷つけた。その犯人は取れてしまい傷が残った、その傷跡に今度は種みたいなものがはまりこんでしまった。その後、食道はその傷を治してしまった。こうして異物が食道壁の中に残ってしまい、結果膿んでしまったんだろう。」これが執刀医の所見でした。「何か心当たりでもありますか?」そうは言われたって、思い当たることなどありません。「先日インドへ行きまして、あちらで鶏肉は食べましたが・・・」こんな事は、極めて希なことなんだそうです。
結局入院期間は一ヶ月にも及ぶものになってしまいました。が、その間いろいろなことを考え、また知ることができました。
一昔前であったら、確実に「皆さんさようなら、お世話になりました。」と言う事態だったのに、今こうして仕事をすることが出来ます。命拾いをしたのですから、これからは余録みたいなものかもしれませんね。
大いに大切に時間を使っていきたいな、と思うものの、まだまだ気力がありません。傷跡も寒いときには特に痛みます。歩いていても、空を見上げるのが苦しくて、下ばかり見ている自分に気付かされます。
ちょっとしたことでも、すぐに疲れてしまい、やりたいことの半分も出来ずに・・・・。ついついゴロゴロとしながらテレビを見ている自分があります。
アッ!あれをしなくては、等と考えつつも、全く進まないで気ばかりが焦っています。そんな私なので、申し訳ありませんがお許しを戴きたいと思います。
このことが仏教会では、ガンジス川でおぼれ損ない砂を飲み込んだ。みたいな話になっていたりで、笑い話にもなりませんが、これは誰にでも可能性があることなんです。
注意する、節制するということで防げることではないと感じています。極めて低い確率かもしれませんが、皆さんには是非ご自身のこととして受け止めていただければと感じます。
いつ何時、どんな病に襲われるか?明日は我が身、ご注意下さい。
変革元年 桐生南無の会会報平成21年2月号掲載文
世界同時不況の嵐の中で新年を迎えました。アメリカでは変革を訴えたオバマ大統領が誕生しています。
戦後60年以上が経過し、今まで築かれてきた社会の仕組みは、残念ながら既に限界に達しているのではないかと感じています。恐らく、世界全体が大きく変わることなく、この事態を超えることはないだろうと思うのです。
私たち団塊の世代は、まもなく年金生活者になろうとしているわけですが、今までのような保証が受けられるのかどうかさえ疑わしい限りです。昨年暮れに送られてきた年金受給予定額を見て、愕然としたのは私一人ではないと思えるのです。
間違いなくあらゆる社会の仕組みが大きく変わらねばならないことを、あの通知は雄弁に物語っているとも感じました。
パレスチナを始めとして、今なお世界各地で繰り広げられている紛争。その背景には、私たちには信じがたいほど根の深い宗教や人種・民族の対立、貧困や差別がどす黒く渦巻いています。そして、血で血を洗う争いで金儲けをたくらむ国だってあるわけです。
先日『ダイヤモンド』と言う週刊誌が仏教に関する特集を組みました。見出しを見て内容についてはおおよそ見当は付きましたが、それ以上にヒドイと言わざるを得ないような事例まで紹介されていました。
こんな事をやっていては、人々が仏教・寺から離れてゆくことに何ら疑問の余地さえないとさえ思えてきてしまいます。昨年11月に『寺が消える』と題した文章を書かせていただきましたが、事態は私が考えている以上に深刻なようです。
まさしく仏教・寺は、この世界で苦しんでいる人々にとっての存在でなくてはならないと、思いを新たにいたしました。私の漠然とした予感ですが、
日本のどこかで、寺が倒産したとか差し押さえになったと言う事態が起きるのではないかと考えています。従来からの寺のあり方は、あと数年しか保たないのではないでしょうか。
今、私たちは大きく変わらなくてはならないのです。ただ手をこまねいているだけでは、何の解決にもなりません。気が付いたら、お葬式の場面から僧侶の姿が消えている、そんなことにもなりかねないと思えてならないのです。
北関東の中核都市では、僧侶の姿のない葬儀が既にあるそうです。これは、早晩あらゆる地域に波及するであろう前兆現象で、もう止められないことだと思えます。私は、まもなくインドの仏跡参拝に旅立ちます。インドの地で、お釈迦様の声を、耳を澄ませて真剣にお聞きしたいと念願しています。 ひょっとしたらお釈迦様にも見放されてしまっているかもしれません。
年頭の言葉 源田 晃澄
新年にあたり、まずもって皆様のご多幸とご健勝をお祈りいたします。
昨年より世界情勢は大きく変化し、先行きの不透明な時代になってまいりました。しかし日本は、他国に比べて、まだまだ豊かな生活であると思います。でも、安心しては居られません。
日本の昭和20年代、敗戦後の食糧難。衣類・電気等が不足の時、我々の先輩は素晴らしい智恵を持って生きてきたことを思い出しました。今こそその歴史に学び、人間関係を豊にして、隣人を大切にし、助け合いの精神で共存共栄を計っていく必要があります。
そうすれば、どんな不況が起ころうと、乗り越えることが出きるでしょう。
これこそが仏教で言う仏様の慈悲の世界であり、南無の会の目指すところではないでしょうか。智恵をはたらかせる一年にして、皆様に幸せになって欲しいと思います。
年頭の言葉 田口 義昭
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
私は、昨年の10月に生まれて初めて入院いたしました。鼻の奥に腫瘍ができて、これを手術で取り除くためでした。幸いなことに、腫瘍は検査の結果良性と分かり、ホッとして有り難い気持ちでいっぱいになりました。
病院には実に沢山の人が入院していました。癌の治療のため喉に36回も放射線を照射しなければならない人、一晩中痛さのためうなっている人など、沢山の苦しんでいる人を見ていると、お医者さんと看護士さんのありがたさを改めて実感する事もできました。
鼻の奥にできた腫瘍のお陰で、四苦の中の『病』を知る事になりましたが、次は『死』なのかな?
今年は、経済不況の中で堪え忍び、仏様と皆様にささえられて頑張りたいと思います。
これ以前の文章は法話サイトでご覧いただけます。
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